ネパールー日本合同整形災害外科シンポジウム(その2)




参考にして下さい。

           

在ネパール大使館医務官山形先生  TUTH教授室にて      リハビリセンター

     

    

高木先生を中心にTUTHの整形外科メンバー  

左からポカレル先生・米澤・ガネッシュ先生・マハラ先生         

  (NOA渉外ポカレル先生・トラウマセンター所長ガネッシュ先生・NOA会長マハラ先生)     

   

耐震性のないレンガ造りの建物が被害にあい、木材構造より圧迫破壊が顕著に人体にも及んでた。

      

市中病院の手術の手洗い場     手術室              一般病棟

一般病院のテント内での手洗い場、手術現場、術後を含めた一般病棟。傷んだ病院の前の広場で。


上の写真を見て西洋文化に浸っている私の目には、奇異に感じ取れるものがありました。

よく上の写真を見てください。このような際に重機や銃器に身を固めた人々(兵士・警官も含み)が視野にほとんどはいってこないこと。この点においては、中共支配の北京、上海とも大きく異なる点だと感じていたように思います。と、後で気がつきました。


日本整形外科学会のネパール大地震に対する、ネパール整形外科学会支援の報告

日本整形外科学会会員及び今回の支援活動に関与していただいた皆様へ


甚大な地震による被害が発生しているニュースを知った段階で、東日本の大地震・津波・原発による被害が甚大で、現段階でも復興・新生の段階にある状況が結びつき、すぐにでも急性期のネパールへの被災状況になんらかの支援に立ち上がろうとしていました。福島県立医大の地域救急医療支援講座の伊関先生、矢野先生たちが4月末には羽田をたち、5月1日にはカトマンズに日本からの自衛隊医療班、徳洲会病院救援隊、日本赤十字医療団とともに、海外からの支援物資で山積みになっていた空港に着きました。そして、他国からの救援隊でごった返している中で救援活動を始めました。(救援活動の具体的内容は伊関先生らによる、ネパール医療救援報告書を参照して下さい。)

ニュースではカトマンズの都市部とエベレストでの惨状、日がたつにつれ地方の惨状が報告され始めました。その間、各救援隊はバラバラに動き混乱も生じていました。多くの支援物資は空港に留め置かれ、各支援団体(NPOも含めて)は時には内紛を起こし、決して効率的な支援状況ではない状況がはっきりしてきました。対応にあたったネパール政府も混乱していました。(たとえば、トリブファン大学付属病院(TUTH)1980年代にジャイカが基礎を作った国立病院、の手術室では、当初、(整形外科に関してですが)、特定の団体と小児整形外科医を残して、ネパール人医師たちの指揮のもと手術室を運営し初めてやっと運営が軌道に乗ったとのことです。 私個人や先輩である石田先生個人の範囲を超えたものになると考えていたところ、「ネパール--日本整形災害外科シンポジウム」の世話人でもある名古屋の蜂谷先生のもとに現場の悲惨な状況のみならず、物資の支援、人的支援など4項目に渡ってネパール整形外科学会(NOA)元会長から直接支援をとの依頼がありカトマンズでの第2回シンポジウムで講演していただいた井樋先生に相談してはと言うことになり、井樋先生に私たちで集められる情報を提示し、いかに対応するか相談しました。そして、日本整形外科学会(JOA)がネパール整形外科学会(NOA)を直接支援すると言う形がベターかつ、直接に支援物資を直接NOAに届けることが良いだろうと言うことになりました。さらに、時間がたって急性期を脱していけば、三重大学の笠井先生が国際的な医療支援の活動を日整会も関与して行っているのでそちらに移行させていこうということになりました。そのような過程を経て、ネパール整形外科医の2演題を採用して支援して頂いたこともある岩本前理事長のもと理事会に諮られました。そしてJOAからNOAへの直接支援と言うことに限定して了解されました。その結果、日整会の広報によって全国の日整会の会員の皆様に通知し、当初の急性期の支援は、先ずは物資の支援を中心に、かつ、現地の状況を把握することにして、カトマンズ入りを果たしました。皆さんへの報告に時間がかかっていますが、何しろ、家内と草ラグビーチームのメンバー達が資材のチェックとリスト作成や再梱包をし、各種の手配(ヒマラヤ観光の担当者が、安く手配するのに苦労されたのは後でわかったことですが)に奔走していました。

 以下に私たちの活動が皆様の協力によって進んでいることを報告します。その前に、まずは日整会会員皆様、及び、このことに関与していろいろと煩わしいことまでも時間と手間と実際の支援物資の寄付と言うことで対応して頂いた方々に心より感謝いたします。特に岩本前理事長、陰ながら支援を引き続き支持していただいている丸毛理事長、NOAをストレートにJOAが支援することの総指揮をしていただいている井樋理事をはじめ、在ネパール大使のもとで医務官として赴任されている山形先生の現地での多大ながらも、目にみえない働きを気持ちよくして頂いていることには感謝の気持ちで一杯です。このような突飛もない難題をうけいれて頂いた皆様にお礼申しあげます。

ここからは現実の話なのですが、広報ニュースに記事が載っても1週間程はほとんど反応がなく、最低限でも何ができるかと検討していたところ、徐々に事務局としていた自宅の方に物資が届きはじめ、宅急便の方からも何がおきたのですかと聞かれ、事情を話すと好意的に重い荷物を運んでくださいました。この間、夫婦で届いた物資の整理と搬送に、さらにネパールに行く段取りとで朝から晩まで喧嘩をしながら準備しました。その間に山形大学の高木教授からも連絡が入り、まずは私の体調のこともあり、3人で運べるだけ運ぼうと言うことなり、高木教授が頑張り、先生が中心に集めたものを、関空に送り、私たちの物資の一部を運び5月24日の夜、関空で合流し、3人の珍道中が始まりました。この間、確実に安全に物資を届ける手だてをたて、多くの皆様のご厚意による資材を搬送するのに、大阪弁でいうと「値切る段取りに苦労したこと」厚生省の圧力があるのか(薬・機材の国境を超えることに非常に厳しい対応に出会って四苦八苦したこと。しかし、高速電動ドリルを社長の一言で無償提供して頂いたりして、なんとかしながらもカトマンズに着くと、「ヒマラヤのドンキホーテ」の著者、宮原社長が手配してくださった車が迎えにきており、山形医務官の口添えでスムーズに通関でき、TUTHのポカレル教授以下スタッフが手伝ってくれたおかげで、速やかにTUTHの教授室に資材を運び込みました。高木教授と家内は病院内を視察し、その間、私はマハラ会長とTUTHの現状及びNOAの対応について相談しました。この間に国立ビル病院の方にもできるだけ早く、家に残してきた資材を届ける必要性を感じていました。結果として、3名で出かけた第一陣は一度、引き上げ、第二陣は強引にも私一人で再度挑戦し、無事に資材を届けてきました。又、この間にネパール国内ではトップに位置づけられてしかるべきTUTH、ビル病院のトップと日整会のバックアップによる支援物資が一部の金持ちに流れることのないように、有用に利用されることを確認して、彼らも同意をしました。この時点で、大筋では支援してくださった皆様のご厚意は生きると思って帰日しました。日付は7月7日ですが、トラウマセンターのガネッシュ先生から、届いた資材を使って手術をしているとお礼の手紙が届きました。TUTHのポカレル先生からは、電話で若い先生たちが日本製の機器に喜んでいるとの報告も受けています(サイズが合うそうです)。この間には、軍病院の付属ではありますが、国立のリハビリ病院の名誉院長バチュラム先生、現院長ギリ先生と共に、震災での外傷を、特に運動器のリハビリ等を今後早急に改善すべきであると話をしてきた次第です。以上、資材の搬送と今後のNOAの対応について、今後もこの活動は何らかの形で続くでしょうし、続けるべき課題だと思います。しかし 幸いにも徐々にはかどって笠井先生に今後の支援をお願いする段階にきているようです。(2度目の大きな地震後の様子ですが、現在まとめているところで、まとまれば機会を見て展示する予定です。)

私は27年前より、私的な形で年に1~2回ネパールに出かけ、1~2週間ほど医療活動を続けてきました。その過程で当初一般外科の一部の整形外科医15名ほどが育ち、整形外科単科として独立して現在ではNOAの会員も200名近くなっています。この間に3~4年に一度シンポジウム(学会と言うよりシンポジウムの方がよいと示唆してくださったのは小野村名誉教授ですが)を始め、来年2月には3回目を予定していました。しかし、この地震で延期をしようと申し入れをしたところ、ネパールから強く要望され開催することが支援になるからと言うことで、予定通り来年の2月11日~13日までネパールのポカラで開催することになりました。連絡ではポカラのホテル「ポカラグランデホテル」でセッティングすることになりました。この件、支援の件でご質問があればシンポジウム事務局の米澤に連絡してください。できるだけ多くの方々に(医者のみならずコ・メディカルの方々及び一般の方々)参加して、復興に取り組むネパールの姿を見て頂きたいと思います。尚、このシンポジウム関連かつ日本側の代表は3回目を終了した時点で、2013年に発足した15名からなる世話人会の会長である井樋先生のもとで続けていくこととなっています。

尚、現場の様子の一部は写真を参考にしてください。ご報告遅くなって申し訳ありません。事務局の方には高木さま、原田さまからの寄付金、インドのジンマーより蜂谷様より機材、伴様より薬剤の支援以外の物資の一覧(米澤、高木、笠井のもとに届いた物資一覧)とTUTH,トラウマセンター(国立ビル病院)の受け取りを感謝文とともに届けてあります。興味のある方は日整会の宮川広報事務局長にお問い合わせください。また、現在も残っている物資は来年2月のシンポジウムまでにネパールに届ける予定です。

資材支援施設は計42施設総量は1トン近くでした。急性期搬送費用援助の一部はNOA年次総会での若い医師への AWARD に転用予定です。(支援中の高木先生,死にそうな米澤の姿はこの裏にネパールの当時の様子とともに写っています。参考にしてください)


第3回 ネパ一ル一日本整形災害外科シンポジウム at ポカラ(標高:800m台)

2016年2月11日~13日:学術会議

メインテーマ-1.大地震:その時、何が・何を、そしてこれから。 

      -2.地震、高齢化による運動器損傷・障害:ロコモーション、リハビリ

      -3.2050年に向かい西洋医学と東洋医学の融合化の必然性


    会長 :Prof. Deepak. P. Mahara (President of NOA)

    副会長 :Takumi Yonezawa(Oosaka Medical College)

会場 : HOTEL-GROUND-POKALA

参加費 :医師          : 8000(Japanese Yen) 

コ-メディカル: 4000JPY  同伴者(子息は除く:無料): 3000JPY

メディカルキャンプ             :バネパ(ドュリケルの丘近く1泊予定)

病院見学(手術参加:可)     :希望者は1泊でナガルゴット

リハビリテ--ションセンター見学  : 希望者は1泊でナガルゴット 

カトマンズ市内見学、義肢装具会社見学、ロコモーションとヨガの世界の公開講演    

演題募集:要項は別紙一一口演(A,B)、ポスター,

(締め切り:11月25日)  コ・メディカル、企業、学生、一般の参加歓迎

Option:3コース(他は各自計画し、不明点はヒマラヤ観光会社に問い合わせ)

 1:ジョムソン(ネパール人の桃源郷、近藤氏が日本米耕作成功)とトレッキング

 2:ルムビニ(仏陀生誕の地)からチトワン国立自然公園(象に乗って散歩)

 3:ホテルエベレストビュウへの探索行(宮原氏がヒラリーと喧嘩をしながら建築)

出来るだけ多くの方に、現実のネパールの姿や、今、東北の方々が官僚の姿をしたアンタチャブルにも負けずに頑張っておられることをネパール復興支援も兼ねて参加して頂き、心の隅に何かを感じていただければと思っています。しかし、声高に叫ぶことより、先ずネパールの日々を楽しんでいただくことが重要だと考えていますので、少しネパールの空気を吸いに出かけませんか。当方は、出来るだけ安く、楽しんでいただくために頑張りますので宜しくお願いいたします。ただ、団体の方々の代行という形で、残った物資とその後に届いた支援物資、宴会で飲むウイスキーを搬送することはお許しください。


連絡先事務局:

〒567-0034 大阪府茨木市中穂積1-5 B612(レックスマンションB612)

                    TEL&FAX:072-627-2259(自宅)E-mail:yonezawa4487@ybb.ne.jp


グループと別に参加される方も是非、会場の都合などがありますので取り敢えず参否の連絡だけお願いいたします。まとまった方が安く交渉しやすいことも考慮して、参加の仕方は皆さんの自由に任せていますので利用するだけでも、存分にしてください。

参考:ヒマラヤ観光担当者:大島or木畑   ヒマラヤ観光開発株式会社・マウンテントラベル〒530-0001: 大阪市北区梅田1-11-4-500 大阪駅前第4ビル5階3号

       TEL:06-6346-0360      Fax-06-6346-0465