映画「あのひと」批評

あのひと ポスター

織田作之助がシナリオを書いたという、映画「あのひと」を観てきました。  (3-F 粕井 均)

最近見つかった織田作之助脚本の、映画「あのひと」

群芳HPでも案内しています。⇒ http://kozu.cc/kinfo/2016/05/11150843

なんばパークスシネマで 6/3(金)まで上映しています。


 不思議な映画です。冒頭から数々の違和感に襲われます。

 若い人にとっては珍しいモノクロ。左右幅の狭い正方形に近い画面サイズは、かえって新鮮かもしれません。

 昔のことを映画や小説で少々知っている世代にとっては、服装やしゃべり方にリアリティが感じられない点が少なからずあります。役の設定と役者のキャラクターがかけ離れているようにも思えます。そのうち、制服警官の姿が異様だと思ってると、とんでもない仕草をしているのに気づかされます。

 これら(他にも沢山あります。探すのも楽しみです)はすべて伏線で、後半になって何度か映されるカットで謎が解け、違和感の元が解ります。このシナリオを七十年後に映画化した山本一郎監督の仕掛けです。

 演劇では、現代風の衣裳を着たロミオとジュリエットが舞台を飛び跳ねるなど、戯曲の台詞はそのままに、時代設定や装置などのト書き部分を一変した演出での上演はたびたびあります。古い作品が従来とは全く違った姿で見えたり、現代的な意味が立ち現れたりします。

 「あのひと」のシナリオは戦争中の昭和十九年頃に書かれています。映画は銃後の国民の娯楽であるとともに、戦意発揚の道具としての面も求められました。きびしい検閲があり、織田作も思いどおりに書くことが許されなかったでしょう。書き得なかった作者の思いを、台詞以外の部分を変えることで伝えることが出来るのも、演劇や映画の面白さです。

 戦場で傷つき、銃後の軽い仕事に就いていた4人の帰還兵が、これではいけないと産業戦士を志し、けれど大晦日には休暇をもらって帰ってきて皆で正月を迎えます。しかし元料理人で、体に故障を抱えている老人まで炭鉱に働きに行き、増産のため帰らないと電報を送ってきました。それを読んだおトラ婆さんは自分も炭鉱に行って選炭婦をすると言って荷物をこしらえます。若者たちも、雑煮を食べ終わったら休みを繰り上げてそれぞれの職場へ戻ることにします。その明るく進んでゆくシーンで映画は終わります。

 彼らが進む前方にあるのが撮影所の大きなスタジオなのも異様です。でもその真っ黒な入口が、巨大な口を開けて待ち受けている何ものかのように見えるうちに、彼らの姿は消えてゆくのです。

 織田作のシナリオの台詞をそのまま(と思います)使って、七十年後に撮る意味が浮かび上がってくる映画です。

 観終わって、作中の人々をいとおしく思うとともに、歴史の流れに怖ろしくなります。そして改めてもう一度観たくなる、そんな傑作です。

あのひと 解説

(寄稿ページトップに戻る)